指導力

 
徳川家康
家康は信長のように権威の象徴であろうとした訳ではなく、秀吉のように一夜城を築くと言うような人の考えることの意表を突いた行動はしていない。
武田信玄や上杉謙信に比べて目立つ要素は少ない。
茶道や学問に卓越したこともないし、戦国時代を渡った武将なのだから、権謀術数を感じさせても良いはずである。徳川幕府260年の基礎を作ったのだから英雄なのであろう、

義理堅く約束を重んじる。
意志が強くて、困難にめげない男と言えば、凄い人だ決して自分はなれないと考えるであろう。しかし、約束を重んじ、義理を大切にするだけと考えれば、誰でもできそうである。
姉川の合戦で織田軍は悲惨な負け方をした、しかしその敗戦を知りながら傍観してはいない。
小牧長久手の合戦では、家康6000に対し、秀吉6万、明らかに負けであるが。
義理を重んじ命を賭けているのである。
同じく義理を重んじて、朝倉側に味方した浅井氏の滅亡もあるので、ただ単純に義理を
押し通したというより、義理を重んじるように見せた手腕は天才的な政治家なのであろう

民の心を掴んだ者が天下を取る。
過去の大戦に於いて、中国人民軍は弱いと言われる。根拠は中国人は個々が強く、どんな逆境でも生きていこうとするが、組織になるとまとまりが悪く、すぐバラバラになってしまう。このまとまりの無い人民を如何にまとめるか?がリーダーの課題なのであった。
三国志の言葉に
「用兵の道は、心を攻めるを上となし、城を攻めるを下となす。心戦を上となし
兵戦を下となす」これは諸葛孔明が南方地域を平定するのに馬謖 と言う参謀が進言した言葉と言う。
この時の孔明の作戦は「七縦七禽」、7回釈放して7回捕らえる心から「参りました」
というまで続ける作戦であった。
広大な国土を武力で制圧しても限界がある。根本は民衆の心、部下の心をどう捉えるかを考えなければならない。
それに成功したリーダーが結局は勝ち残って天下を手中に治めるのである。

孫子の兵法
「百戦百勝は善の善なるものにあらず、戦わずして人の兵を屈するのは、善の善なるものなり」、力で強制させれば、必ず後に恨みが残る。下手な勝ち方より上手な負け方である

項羽の失敗
秦の始皇帝以後各地で反乱が起き、秦を打倒した項羽が覇王として君臨するが、時同じくして台頭してきた劉邦に敗北してしまった。
項羽の強さは、天下を狙う野心と正面から力で相手をねじ伏せる勝利に結び付ける存在である。例えば、友軍の救援に向かった項羽は、全軍が黄河を渡った後、船や鍋釜を壊し兵舎を焼き払った。食料も3日分の携帯である。
「破釜沈舟の計」と呼ばれる作戦で自らの退路を絶って全軍に決死の覚悟を促したのである。すさまじい戦いで秦の大軍は敗北し、項羽は大勝利した。
組織リーダーとして強力な指導力を持って急速に第一人者にのし上がった項羽も、後日、急速に没落していくのである。
何故か?
民衆の支持の欠落と部下の使い方の問題があった。
占領地に於いて、大虐殺を繰り返す等で住民の支持を失っていったのである。
また、天下の項羽の元には有能な人材が馳せ参じた、しかし、仕えてみても一向にうだつが上がらないので、ライバルの劉邦に鞍替えしていったのである。
なぜなら、項羽は部下を信頼せず有能な人材を登用できなかった。
仕事を任せてもらえない上に、成功報酬もケチられたのではやる気は出ないのである。
一方、劉邦はこう語っている
「謀をめぐらし、勝を千里の外に決すると言う点では、わしは「張良」にはかなわない、内政の充実、民生の安定では「しょう何」にはかなわない、100万の大軍を率いて自在に指揮し、勝を収める点では「韓信」にはかなわない。3人は傑物である。その傑物を使いこなす事ができたことこそ天下を取った理由である。」と、、、、!
部下を使う場合、自分よりも能力の劣る連中を使いこなすのは比較的やさしい、難しいのは自分より能力が優れた部下を使いこなすことである。
それができた所に劉邦の勝因があったのである
劉邦のやり方は成功報酬をはずんだことと、部下の意見をよく聞いたことである。
劉邦はめったに自分から指示や命令は下さない。何か問題が起こったり障害が生じたら
部下に「なんぞ良い対策はないか?」と意見を求め、「それでいこう」と自分で決断するのである。部下は自分の意見が採用されたので責任をもって必死になるのである。
成功したら報酬を貰えるので、いやでも張り切るのである。
こうやって部下の心を捉えた劉邦に項羽は勝ち目はなかった。
人の能力を使えるのが最高のリーダーであり、最低のリーダーは自分の能力しか使えない。


指導とは!


集団活動の成否は指導力の如何にかかる。
しかし、現代では指導力とは統率力ではなく自発的受容を引き出す「影響力」と考えた方が良い。
統率力と捉えた場合は資質、能力は卓越する存在であるが、影響力ならば管理者の肩書きの必要性は無い。誰もが指導者であり得るのである。
かつて、管理者として資質の卓越性(技術力、知性、等)が求められた時代は終わり、柔軟性と変貌を要求されている現在ではどれだけ影響力が与えられるかが重要となっている。


リーダーに求められる役割

1) メンバーにとって話やすく、良き相談相手である
2) メンバーの能力を引き出せる
3) 命令、指示が的確で、明快ある
4) 言動に一貫性があり、評価が公正
5) メンバーより進んだ見識をもっている
   重要なことはこの位であろう。
   殆ど当てはまる人材を求めることは難しい、なぜなら、埋もれている人材を、不適格なリーダー
   が見つけることは不可能だから、、、
  

共感性:メンバーにとっては自分の気持ちがリーダーにわかってもらえた時、リーダーを支持する。
      権威、威圧では共感は呼べない。
伝達性:集団を方向性を与えること。決断と伝達である。伝達方法は適切で明快でなければならない。 
     やたら数値目標を並べ立てても理解出来なければ無駄である。
      指示の大きさや細密化は、個々の対応が必要である。
先見性:現状からの飛躍の為に期待されるのが先見性である。
      メンバーは当面の課題に集中するがリーダーが当面の課題に埋没しては方向性
      を失ってしまう。メンバーは自分と同じである事を求め、自分と違う事を求めている。

権限とは

企業の管理者は上位から任命されるのであって、職場集団から推挙されない。よって、
そのまま職場集団の指示を受けるとは限らない。あくまでも形式的なものである。
公的な立場と実質的な影響力の間には隔たりがある。つまり、権限に於いて職場集団を動かすことは可能だが、底力を引き出すことはできない。人間的影響力を及ぼしてこそ管理者(役職者)としての指導力は発揮される。

集団の統合機能
職場集団には様々な資質、能力、性格を持ったメンバーがおり、意見が一致しない場合がある。これを統合することで力量が問われる。
何を根拠に、何を指導力の主軸とするか、3つのレベルがある。
1) 技術的熟練度
2) 人間的関係熟練度
3) 概念的熟練度
  低い階層では技術的熟練度であり、高い階層は概念的熟練度と言える。

人間的関心事
部下から信頼されなけれるためには、敵視、警戒心が取り払われなければならない。
しかし、管理者と部下は評価と言う立場上、必ずしも開放的に接することはない。
「上は下を知るに3ヶ月要し、下は上を知るに3日で足りる」と言われる。
部下の態度を如何に「自己開示」に向けられるか、安心感、開放感を与えられるか?
「管理者(役職者)として、、、」と言う概念に捕らわれていては心は開かれない。
立場ではなく人間として接することができれば管理者としての役割を失うことはない。

知る、させる、伝える
まず相手を知ることである。知れば自ずからさせる内容が決定される。
少し難しい内容を経験させることで進歩が生まれる。経験と機会を与えることが重要である。伝達も一報的ではない、報告を受けることにより部下に対する認識、見方、評価を示すことである。関心を持たれている意識が重要なのである。

前を見る
部下(課内)ばかり見ている指導者に力強さは得られない。自らの課題に挑戦する
直接指導しない影響力を如何に行使しているかと言うことだろうか。

例えば、職場に何か問題が発生したとする。
小心な管理者は自分の経験能力で、渦中に飛び込み解決に奔走する。当面の問題1つが解決したに過ぎない。(それすらしない管理者も多いが、、、)
優れた管理者は自ら渦中に飛び込まず、問題の根本を掘り下げ、他の問題場面が起こった時を想定して広く有効な解決視点を部下に会得させるように導く。
つまり、再び職場に問題が発生しても部下自身で自己解決へと導かれてしまうのである

信賞必罰
  ある会社で何故新機構の商品が出ないのか、開発力が低下しているのか、社長は判らなかった
  ひたすら、ハッパをかけようとも、皆、冒険しようとしないのだ、
  PEC活動で、「やってみてから考えよう」と言っても、「頭の良い開発者はよけいに反発した。

  答えは、自分にあったのである。
  方針の中で、チャレンジ目標を達成できなければ、マイナス評価、、という曖昧な基準があった。
  組織課長・部長は、当然、できる事や、過去の負の遺産の解消や改良する事で、目標達成
  を目標としてしまっていたのである。

  失敗すれば、マイナス、、、、この社長の発送が会社の没落をまねいたのである。

リーダーの資格
  高度成長期は、年功序列で、誰が偉くなっても会社運営はできた。
  停滞と混乱の時代がきたら、なんと指導者の少ないことか、、、、
  今までの、「ことなかれ管理職」が全く役に立たないのである。
  そして、影響力の強い人が引っ張っていく。。
  「出る杭は叩く」上司、経営者がいる会社は没落していった。
 
コンプライアンスの時代
  2015年頃から コンプライアンスと言う言葉が使われ始めた
  実にこの言葉は、間違って使われている方が多い
  役職者の隠れ蓑として使われる
  実力のない役職者が、何もできないことを 「コンプライアンス」として逃げている
  1分で終わる仕事を 1か月もかけて行うのだ。

  昔、派遣社員を過酷な出張に行かせたが、報酬、数万円をお土産にした。
  24時間、全国を移動してもらったが、喜んでやってくれた。
  経理課に説明するのに苦労した。
  今の役職者では、こんなことできる人は皆無である。
  だから、部下や派遣社員も 過酷な仕事はやらない、だから問題も解決しない。
  もし、問題を対策費で支払ったら、数千万円かかっていただろう。
  たった数万円の派遣社員への報酬で大幅に経費を削減したのである。
  何もやらないでも給料をもらえるから何もやらない、しかし、もっともらしい事だけは言う
  そしてできない理由を「コンプライアンス」として逃げる、会社はつぶれる。


指導力の独裁化

人と言う動物は、集団行動をする
だから、悪の道に指導すると、 皆悪い事とわかっていても、ついて行くのが人間の悲しいサガである。

歴史に残る悪の権現とされて認識されているのが、

大日本帝国の 東条秀樹、ナチス のヒトラー、ロシアのプーチーン、、、他にもいるが、
皆、祖国の為なんていいながら、自分の指導力をいいように自己の利益の追求をしてしまったのだ

ロシアで、ある程度国内が安定してしまったら、となりのウクライナが豊かに見えてきた、
戦争をしかけた、 ロシア国民の大半は嫌がっていたのだ。「ロシアの為ならともかく、プチンの為に
なんで俺が死ななきゃならない、、 あたりまえだ、

日本も平和になった、世界で犯罪者が独裁者しなければ平和だ、
戦後、最大のミスは 戦争を起こし、何十万人を犠牲にした戦犯を靖国神社に一緒に葬ったことである、