決断力

 


日本海海戦


日本海軍は対馬海峡にてバルチック艦隊を迎え撃つべく哨戒網を張った、しかし、敵が現れない、、、、
動揺する日本艦隊の決断とは、、
日露戦争に於いて、遠くバルチック海から出撃してくる第2艦隊が到達する前に、日本軍は陸軍が攻略した
旅順203高地からの攻撃によって旅順港にいたロシア主力艦隊を撃破することに成功したが、
今度は、遠くバルチック海から出撃してくるロシア艦隊を迎え撃たなくてはならなかった。
旗艦三笠には東郷長官、加藤参謀長、作戦参謀秋山中佐、以下を乗せて出港していた。
そして、来る決戦の主力となる戦艦4隻、装甲巡洋艦8隻は鎮海湾にて待機することになる。
ロシアの第2艦隊(ロジェストウェンスキー)がウラジオストクに入港するためのルートは3つあった、
対馬海峡、津軽海峡、宗谷海峡のルートである。
全ての懸念を振り捨て、「対馬海峡に来る」と結論を下し連合艦隊は鎮海湾に集結し、
予定どおりロシア艦隊を待っていた。。
この間、秋山参謀の戦法「単隊ならT字戦法、2隊なら乙字戦法」の基に艦隊訓練、射撃、艦隊運動が厳しく行われていた。
しかし、予定日になってもロシア艦隊は現れない。
実は、ロシア艦隊は、ロシア皇帝の「第3艦隊と合同してウラジオに向かえ!」と言う命令の為、
(ベトナム)カムラン湾にて待機していたのである
よって、第3艦隊と合流したときは、戦艦8隻、装甲巡洋艦3隻を含む約50隻の大陣容になって出向したのである。
ところが、連合軍側は情報収集の為、73隻の艦船を投入して警戒にあたらせたていたものの、
バンフォン湾を出港したロシア艦隊の所在は途絶えてしまったのである。
当時の情報網では何処かの港に補給のため、入港しない限り位置を確認することは至難だったのである、、、、
対馬か津軽か?
新聞報道等でさまざまな情報が乱れ飛んだ。
函館に現れた、本国に引き返した、宗谷に現れた、太平洋に迂回した、、等
予定の22日が過ぎても現れないことから、連合艦隊内部は不安の頂点に達した。
幕僚たちが動揺し東郷長官に「長官はバルチック艦隊はどの海峡を通るのか」と意見を求めたが、
東郷は単に「対馬海峡だ」と言い切っている。
この確信を持った答えに対し、幕僚たちは言うべき言葉もなく引き下がったと言う。
ここに歴史上の「決断」が生まれると解釈されている。
しかし、東郷長官は「経過の時日より推算し、相当の時期まで敵を見ざる時は、北海方面に迂回したものと判断し、
連合艦隊も津軽方面に航する」と記しているのである。
東郷長官はどうして待ったのか?
作戦会議に於いて、列席の意見は津軽海峡説に傾いている中で、藤井参謀は対馬海峡説に固執していた。
平均速度、燃料、水、食料等の数字を掲げ意見している。
列席の推定意見の中で、数字を用いて理論的に説明していたのである。
東郷長官は彼らの意見を聞き、根拠不明確な多数意見を排除し、少数だが、
合理的な意見を採用したのであった。
連合艦隊はたった1人の反対者の努力によって危機を乗り切ったと言えるかもしれない。



決断とは!



「決断」とは上記のようなものであろう、作戦会議に於いて多数の意見が占める決定は
誰にでもできることである。
真の「決断」とは根拠なしに行われることはない。
信長の桶狭間の戦いで各武将が籠城戦法で多数を占めていたにもかからわず討って出た。
しかし、地の利を知り、急所を突くことで勝見込みを5割以上にまで持っていくことが可能と判断し、
また将来を考察し、最小のリスクを考慮したとすればこれこそ「決断」なのである。

意志決定について

事業を始める(商品化する)時、成功の可能性が60%あれば必ず実行しろと言われるが、
闇雲に行動することは単に冒険なのである。
そこには必ず次のような一連のプロセスが存在しなければならない。

  1) 目標の設定と問題点の発見
  2) 代替案の探索
  3) 評価の特定と代替案の決定

意志決定を左右する要素

最終目的を達成するために、問題点を出し解決案を考え、最もリスクの少ない方法を選択する。
これは誰でも考えることで多数を占める決定なのだが、
ここに、「代替案」が入ると大きく意志決定が左右されるのである。
つまり、ある作戦について困難に陥った時の代替案が実行される、
しかし、その代替案に対しても困難に陥ることがある、これについての代替案をさらに実行する、そして、、、
と言うように果てしなく枝分かれしていくのである。
有能な参謀、策略家、企画家はその枝分かれをどこまで読めるかにかかっているのである。
また、上に立つ「長」も何処まで「参謀」の思考過程に入り込めるかで「決断」の優劣が決定されるのである。
選択は目先のリスクを考慮するのでなく、代替案の結果に基づいて行われなければならない。

リスク回避

リスクは回避するか挑戦するか、2つの選択がある。しかし回避することもまたリスクであることを忘れてはならない。
数年前まで、人件費の高騰から東南アジアへと企業は生産拠点を移行していった。
それも当時ではリスクがあったが、国内よりリスクは少なかったと言える。
しかし、技術流出、国内空洞化、社会環境の変遷によって更なる代替案が必要な時代となってきている。

意志決定の要素

結論的に言えば、人的には、判断力、思考力、、等が必要であり如何に人材が存在するかにかかっている。
技術的には、当然、技術力、情報力、資金力等の経営資源が根拠となる。
すなわち、来るべき意志決定に於いて、如何に有利に意志決定できるように先行投資しておくかが、重要なのであり、
皆が考え違いをしている点なのである。