直線上に配置

この山門から更に急な山道を観音堂へ上っていくのが本来の参道だったようですが
現在は立ち入り禁止になっており、山門を通り過ぎて緩やかな階段を寺務所へ上っていくルート
となっています。

寺務所から観音堂へ向かう途中には、岸壁をくり抜いた洞窟を抜けます。
洞窟を抜けると真っ赤な色鮮やかな観音堂が見える。
布引観音の伝説の元となっている観音様はこの観音堂の中。

直線上に配置

山道の参道を登る途中には滝や牛馬の形をした岩、木彫り仏像など、多くの見所があります.
10分ほど上ると古い山門(仁王門)が見えて来ます。この山門の真上にそびえたつ崖に観音堂があり
、ここから見上げる観音堂は京都清水寺にも喩えられるそうです。

【布引観音】

天台宗布引山釈尊寺が正式な名称です。
信濃三十三観音霊場の第二十六番札所です。

創建年代は、神亀元年(724年)に行基によって開かれたと伝えられています

近世以降の記録では、天文17年(1548年)武田信玄が楽厳寺入道・布下仁兵衛を攻略した際
に一旦焼失し、その後、弘治2年(1556年)に望月城主であった滋野左衛門佐が再建するも、
享保8年(1723年)に再び焼失したようで、
現存する伽藍の大半は小諸城主牧野周防守康明によって再建されたものとのことです。
観音堂内にある「宮殿」は昭和24年5月30日に国の重要文化財、「白山社社殿」は
県宝に指定されています